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2007年2月

2007年2月26日 (月)

案の定ダウン

Mask2 案の定インフルエンザがうつってしまった。。

しばらくダウンです。

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2007年2月23日 (金)

インフルエンザ

Mask最近インフルエンザが流行っているようだ。今朝、娘もやられた。数日前に遊んだオトモダチがA型に感染していたそうだ。

午前中に病院に連れて行ったが、幸い自分にとっては病院という場所にはあまり縁がなく、久々に訪れた場所に不思議な感じがした。スタッフの方々は絶えず忙しそうなのだが、患者側はなぜかスローモーションのように時間が流れていく。

日々のバタバタの中で「ちょっと休みなさい」とストップがかかるような気分になった。自分の病気ではないのだが、妙にリラックスできた。

当の娘は検査で長い綿棒を鼻から突っ込まれて可哀想だったが、先生も手馴れたものだ。アッと気づいたら棒が深く突っ込まれていた。相手にスキを与えない先制パターンというわけだ。

幸い大したことはないようで、タミフルだ何だをもらって終了。いろいろ事故が報道されているが、小児にタミフルは結構副作用があるようで、以前に服用したときには夜中に放心状態でゲラゲラ笑っておった。その程度で済んだので良かったが、今回もまた笑うのだろうか.....

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2007年2月22日 (木)

紙一重

Wasi_1久々に機器のセッティングを詰めてみた。キ-ワードは「紙一重」。

コンポーネントの設置の際に重要になるのがガタ取りだ。折角の堅牢な床やラックも、機器の足にグラツキがあるようでは台無しだ。

拙宅で活躍しているのが、紙そのものである。以前にも申し上げたが、いろんな和紙を使用している。紙の質で音が違うとまでは思わないが、折角なので雰囲気の良い手漉き和紙を好んでガタ取りに使っている。

4点支持の場合にはドンピシャで全ての足が密着することはないと思ったほうが良い。この場合は3点の方が精神的にスッキリするが、地震に対する安定性の問題や音質的にどうしてもいたずらに解像度を追い込むような格好になってしまう。

私も一時期は好んで3点を試みていたが、最近は構造的にも音質的にもズッシリ安定感のある4点に移行している。SPはまだ3点だが。

4点支持では必ず1つの足にガタが出るので、そこを和紙で微調整する。ショーモナイ小手先のテクに思われるかもしれないが、安定するポイントは紙一重のサジ加減でやってくるので、職人的な能力が求められるだろう。

セラベースのような豪勢なインシュになると、ネジ式で高さが微調整できるようになっているので便利この上ない。お陰でDeliusは常にベストの安定感で棚板に接触できているようだ。

結果としての音質だが、それも紙一重かもしれない(^^; 完全にガタを取った場合とそうでない場合の再生ぶりが白黒逆転するような変化であるはずはない。しかし、オーディオ鑑賞という微妙なテイストを味わう趣味において、紙一重の差は限りなく重い。

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2007年2月21日 (水)

剽窃

Pacご説明は必要ないかもしれないが、剽窃とは「ひょうせつ」と読む。他人の著作を盗用したりパクルことだ。

インターネットがここまで社会に浸透すると、誰でも無限の情報にいとも簡単に接することができる。今までは情報発信機能を独占していたニュースメデイアという存在も逆にネットでいろんな情報を収集する現状である。

最近、特に大手新聞社のコラムや記事表現で剽窃が問題化しているようだ。自分も同じ業界にいるので、毎日違うネタを延々と書くのが大変なことは重々承知している。だが、越えてはならない一線があるのは当然である。

剽窃の問題はメディア企業に限ったものではない。このような個人のブログについても同様の事が発生する。個人だから大目に見る部分が大きいと思うが、どこかからわからないようにネタやアイデアを「拝借」することは十分ある話だ。

法の専門家ではないが、かなりの幅でパクリにはグレーゾンがあるように思う。コピペは論外としても、その人でしか接し得ない情報をあたかも自分が見たかのように書くのもアウトだろう。しかし、考え方や発想のパクリを証明するのは結構難しいのではないか。

この「ファイン・ライン」については、発想から文章の推敲までNAITオリジナルであるとキッパリ申し上げたい。他の方のブログから発想を拝借することはない。別に義務でやっているわけではないのだから、大いにオーディオ趣味を楽しみたいと思っている(^^) 最近忙しいですが.....

お堅い話になりましたが、ご容赦を。

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2007年2月20日 (火)

通勤

64998248仕事で東京に来て10年以上になるが、幸い自分は通勤ラッシュとはあまり縁がない。

電車通勤ではあるが、労働時間がシフトによってバラバラで、どれもラッシュに当たることはない。大阪にいた頃は東京の通勤なんてと戦々恐々(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブルだったが、非常に幸運だった。

30分程度の電車であるが、人ごみに揉まれることはないので結構いろんなことができる。周りを見ていると大半はケータイメールやケータイサイトで何かやっているようだ。だが、以前にも申し上げたようにケータイは嫌いである。

一番多いのは読書だろうか。ただ、本といっても自分はあまり小説や下世話な週刊誌は好きではなく、もっぱら趣味の分野の雑誌や単行本を携帯していることが多い。さすがにSS誌はキツイので家に放置している(^^;

また、シリコンオーディオプレーヤーで音楽を聴くことも多い。最近の音は素直でレンジも広く、なかなか侮れなくなった。小型イヤホン型のスピーカーの性能改善が望まれるところである。

ところで、都会派のオーディオファイルとは割りとポータブル機器の音質の話題などが通じるのだが、あまり通勤ラッシュのない地方の愛好家の方にはこうした話題はピンとこないようである。ゴミゴミした場所で生活しないで済むのなら、それはそれで羨ましい限りだ。

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2007年2月19日 (月)

ドッヂボール

Dodgeこの週末には幼稚園の娘のドッヂボール大会があった。子供の遊びと思いきや、東京地区大会とやらで、栃木や神奈川などから腕に覚えのある幼稚園児が参加したという。

自分も子供の頃はよくドッヂをやったものだ。ただ、ルールはいろいろあるようで、縦横に外野が展開するパターンが主流のようだ。自分の頃は一方向だけだった。大阪のローカルルールだったのかもしれない。

幼稚園児とはいえ、なかなか強烈なスローを浴びせるものだ。そのほとんどは男子だが、女子にも機敏な子が時々見うけられた。

幸い、娘の幼稚園のチームはほとんどが勝ち進んだ。結局優勝したのもうちの幼稚園の精鋭チームだ。先生が熱心な方で、毎年この大会のために特訓を行っている。

実は私も個人的に娘とトレーニングを重ねてきた。休みの日にはキャッチボールをしていた。投げるのは上手くなったが、受けるのは結構コツがいるようだ。

ボールを怖がらないこと。目をそむけないこと。これが基本のようだ。

対象を恐れずそれと向き合うというのは何事にも繋がることだろう。幼稚園のトッヂボールのみならず、オトナの社会まで問題の本質は同じである。そういう精神で臨まねばなぁと思い知らされたドッヂ大会であった。

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2007年2月18日 (日)

そろそろ春

Sakurasakuこのあいだ正月になったばかりと思っていたが、もうすぐ3月だ。世間も次第にそういうムードになってきたようだ。

受験シーズンも、そろそろ結果が出てきている。嬉しいことに本ブログにも登場される我等がオーディオ仲間のkoyama氏のご子息においても朗報が聞かれたところである。

自分の子供はまだまだ小さいが、そのうち受験のハラハラを通過せねばならないかと思うと気が重くなる。

また、先生側にも心の平静が戻りつつあるようだ。同じく私のオーディオ仲間で九州で高校教諭をされている方がいらっしゃるが、受験指導もようやく一服し、オーディオに邁進?されるような気配が。。。散財しすぎにご注意を(笑

企業社会の春はどうだろうか。現場で酷使(笑)されている身にとっては春も何もあったものではないが、新入部員は来るようである。4月5月の職場といえば、どちらかというとトレーニング的な部分が増えて二度手間なのが常なのだが、3年5年と育つことを前提とすれば必要なプロセスだ。

ただ、最近の新社会人の傾向からすると、そうした教育的な部分も実らぬうちに「渡り鳥」になっていく者も多いようだ。そのあたりを見極めるのも採用人事の腕の見せ所だろう。

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2007年2月17日 (土)

殺し文句

今日は久々に秋葉原のパーツ街をなめてみた。

具体的に何かの製作目的があって行ったわけではないのだが、東ラジやラジ館を回ったあとにオーディオショップを覗いてみると、似たようなグレードのパーツと思われるのにその価格差に驚く。

Blade殺し文句は「オーディオ用」だ。

理由をいろいろ考えてみると(A)本当にグレードが高い(B)オーディオファイルには裕福な人が多く、簡単に高価なものでも買うのでハッタリ価格を設定(C)フトコロ具合に関係なく「オーディオ用」と言われると意地でもそれにしたくなる、の3つだろうか。

例えば、フェライトコア。アコリバの大小のコアのアソートセットがあるが、あんなものは分かる人ならもっと安く集められると思う。ただ、大型で変わった形のものは入手しにくいものがあるのは事実だが。

一方、コンデンサや抵抗は「音が良い」とされているブランドが決まっているので価格も差別化されている。実際、同じ定格でもブラックゲートを見せられたらニチコンは立つ瀬がないだろう。

プラグも良し悪しが割合とハッキリ分かれるパーツかもしれない。つまり「値段は正直」な部類なのだ。4本で何万もするようなRCAプラグはボッタクリ以外の何者でもないが、1万ちょいくらいまでなら、価格と性能は比例するように思う。

単に電気的に導通していれば良いと思う方はさすがに少ないと思うが、しっかりしたマスを投じたプラグは好み云々のレベル以前に基本的な音の骨格が違う。

ということは、「オーディオ用」というのは意外に(A)のように実態に即しているのかもしれない、などと考えながら家路についた。

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2007年2月16日 (金)

ハラハラ

Turntableマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」にそっと針を下ろすと、1曲目「マテリアル・ガール」が始まる。

当時、夜中のMTVで全盛期のモンローをパロったビデオクリップがしばしば流れていたが、レコードからダイレクトに出てきた音は鮮度とインパクトがまるで違った。

歌詞もたいして分からず、サウンドにただただ呑み込まれるようにA面の最後まで針が流れた。当時の通常のLPではアームがスピンドル近くに振り切れるまでには23分程度かかったが、一瞬に感じた。

これが洋楽POPSというものか、こいうものを聴いていることにまだ恥じらいを感じながらもNAIT少年は内心満足であった。一念発起でレコード屋に足を踏み入れた甲斐があったというものだ。

振り返ると、歌詞の多くはアホなアメリカ姉ちゃんが言いそうなことばかりでナニコレーみたいなものだ。今の方がかえって恥ずかしい(爆

マドンナLPは、その後も何枚か買い続けた。名曲「ホリディ」も収録されたデビュー盤はもちろん、True Blueはかなり高得点だった。しかし、True Blue以降のマドンナ作品は勢いを失っていったように思う。

作品の勢いというものはアーティスト自身の人生のup/downと同期しているものだ。彼女自身にもいろいろあったのだろうが、自分の志向は軟派なものから次第にアメリカン・ハードロックへと移っていった。

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2007年2月15日 (木)

スタイル

何のタイトルだと思われるだろうが、先日に続いてカメラの話である。

カメラ好きは間違いなくレンズやボディに凝るわけだが、実用上一番の要になるのはカメラバッグだと確信している。逆に言えば使い勝手の良いウツワがあれば機材はニコンでもキヤノンでもあまり大差ないかもしれない。

(いや、大差あるのだが。。笑)

撮影スタイルがすべてである。つまり、自分は何が好きでどう撮るのか、それによって道具の選び方も変わってくるというものだ。街のスナップや日常生活の一場面を切り取るような撮影が主である私にとっては、あまり仰々しいバッグは避けたいところだ。

Domkeいろいろご意見はあるだろうが、私はあまり仕切りが固定的でなく肩にかけた状態で物が出し入れしやすいコットン製の「ドンケ」を10年以上愛用している。豪勢なウレタンプロテクション満載のバッグは収納するのは楽しいが実用に不便を感じることが多いと思う。見た目にもいかにもカメラヲタだ。

一方、常時クルマで移動してネイチャーフォトを狙う方は超望遠なども気にせず運べるだろう。それこそアルミケースに一式収納して、撮影時には窓枠に台座を据えて車中から一本釣りなんてのも可能だ。(ちゃんと大自然を釣りましょう笑)

ボディ、レンズからアクセサリーまで市場には考えられる多くのニーズに応える製品が揃っているが、一人の撮影者がそれを全て使うことはまずない。収集家は別として、揃えること自体に意味を見出すことはないからだ。

自分のスタイルに合った選択肢を探すプロセスはオーディオもまったく同じである。敢えて申し上げる必要もないだろうが、数多のベクトルを持つオーディオ機器から適切な選択を行うにあたっては、何十年やったベテランでも確信が持てない部分がある。

また、自分にはないスタイルに出会ったとき、それが新たな刺激としてオーディオライフの糧となることもしばしばあることだ。

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2007年2月14日 (水)

ドキドキ

前回はカーペンターズに少し触れたが、またお恥ずかしい昔話を少し。

親父のレコードを弄り出したのは中1か中2くらいだったと思うが、姿勢としてはあくまでも「親の趣向で選んだ音楽を聴かせてもらう」という受動的なものだった。今でいうオールディーズなどの洋楽ポップスやクラシックのLPが数十枚ほどあったようだが、それらに聴き入るのはそれで面白かった。新しい世界との出会いだ。

しかし、13や14の頃の多感な精神状態とあいまって、自分の好きな音楽というものを探してみたくなった。クラシックは偶然にも中学の同級生にベートーベンやチャイコフスキー交響曲ヲタ(笑)がいて、カセットテープの貸し借りを通じて世界は広がっていった。

それよりも何よりもずっと気になっていたのは、妖艶な金髪のお姉さんが繰り広げる洋楽ロックやポップスだったのだ(^^; どんな歌が聴けるのか、また、それを聴いている自分の姿は.....考えただけで赤面した。

Madonnaある日、NAIT少年は意を決して近所の「三星堂」レコード店に足を運んだ。なけなしの小遣いで買ったのは、マドンナを洋楽シーンに君臨させた名アルバム「ライク・ア・ヴァージン」だ。

レジでの精算は恐らくオドオドしていたと思うが、今更後戻りもできない。当時は3千円近くしたと思うが、おつりなど数える余裕もなく自転車で家路を急いだ。

見るからにセックスアピールのするジャケ写真。LPは30cm角ほどあるので、そのインパクトはCDケースの比ではない。当時のいわゆる「ビニ本」に勝るとも劣らぬ後ろめたさを感じながら、親父のレコードの間にそっと隠すように挟んで保管した。

(To be continued.....)

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2007年2月13日 (火)

Tact_1オーディオ、特にクラシックを聴いているときに、スピーカーに向かって指揮してしまうことはないだろうか。

私は、いつもとは言わないが、時々やってしまう。裏を返せば音楽を楽しんでいる証拠と言えなくもないが、自分で分析してみると結構面白い。

オーディオは再生音楽であるので、好きな盤は何回も聴いている。よって曲中のスフォルッツアンドなど要所要所のタイミングは感覚で覚えてしまう。だがそれでも息の合わない指揮者がいるのだ。

別にスコアを見てオーディオを聴いているわけではないし、そんなものを見ても正確なタイミングを把握する能力は私にはない。つまるところ、自分が曲に対して抱く感覚とCDから出てくる曲の感覚のズレというべきものだろう。

自分はただの素人音楽ファンなので大御所に物申す立場にはないが、ベルリンフィルを率いるカラヤンものは大抵あわせ易い。逆に言えば氏の音楽は大衆ウケが良く耳なじみのある作りだったのかもしれない。アバドも同じようなラインだろうか。

一方、あわない演奏を言い出すとキリがないが、これは私の曲に対する理解が浅はかであると申し上げておく。

それにしても、同じ曲でも指揮者や奏者で白黒が逆転するくらい変わるものだ。今更ながらクラの難しさを痛感させられる。あまたの演奏の中から自分にとってのベスト盤を見つけるのは容易ではない。

その一枚は必ずしも評論等で推薦されているものとは違ってしかるべきだ。自分はあまりこうした推薦本は読まないようにしている。妙な先入観が入り込むのを避けたいがためである。

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2007年2月12日 (月)

orz...三連休...orz...

さすがに三連休の子供の相手は疲れた。

早く仕事に戻りたい...orz...

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2007年2月11日 (日)

デジカメ

Nikon今更ながらデジカメというものは恐ろしい。

自分はオーディオマニアの三種の神器の一つである、カメラも大好きである。敢えて「写真」とは言わずに「カメラ」と呼ぼう。オーディオコンポーネント弄りと同様、カメラも弄ってナンボの世界だと断言する(笑

フィルム全盛の頃にはキヤノンF-1NやEOS-1NにLレンズの広角やら望遠やらをぶら下げて歩いたものだ。ジッツオの中型三脚も体力に任せて運んだ。

ところが、結婚、出産、子育てを経て、こうした重い機材は物理的に持ち運べなくなった。カメラバッグは持てたとしても、子供の身の周りグッズや子供自体をシコタマ運搬せねばならないからだ。

コンパクトなデジカメは救世主である。いくらデジタル万歳といえども、各種の光学収差という意味では一眼に軍配が上がるのは当然だが、ポケットに入れてどこにでも持っていけるのは他に代え難い便利さである。

画質も最近の製品には特段文句はない。発色だ露光だというのもPC上でかなり調整が効くので昔ほど「職人的」なウンチクは必要なくなったのかもしれない。第一、プリントして見ることが減ったので、液晶モニタ上で見るには現状でも十分とも言える。

しかし、機械弄りの面ではなんとも食い足りない。

大型のデジカメはどんなものだろうか。現状はまだまだ大きな機材は持ち運べないのだが、そのうち虫が騒ぎ出すのは目に見えている(^^;  手持ちのEFのLだって、使えるはずだ。

バッテリーの持ちや、イメージセンサーの保守は大変なのだろうか.....デジの世界にはそれ特有の難しさもあると思うが、やはり弄る醍醐味は他に代え難いものがあるだろう。

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2007年2月10日 (土)

Ume毎年、この季節になると大田区の池上本門寺の梅園を訪れる。たいそう大きなお寺なのだが、チャリで5-6分というご近所である。

まだ八分咲きという感じで満開ではなかったが、丘の斜面に広がる梅園はなかなかの美しさであった。もっとも、自分は花のことにはあまり詳しくなく、こういう時間の過ごし方というのはかえって非日常的である。

最近どこかの新聞に「梅はなぜ冬咲くのか」という記事があったのを思い出した。ただ、読んでいなかったので理由がわからぬまま、梅園を散策した。

先日のボウケンジャーショーでは日本には子供もまだまだ多いななどと思ったが、梅園はさすがにご老人だらけだ。右も左も前も後ろも老人だ。お寺だから自然だともいえるが、社会の高齢化も本格化してきたことを痛感させられる。

小一時間もいるとだんだん飽きてきた。家内と娘はそれなりに花や庭園を楽しんだようだったが、私と息子はどうも即物的な人間のようである。帰りたくなった(^^;

考えてみれば、男性というのは女性にくらべて旅行などはあまり気が向かないように思うが、どうだろうか。旅を楽しむ心はもちろんあるのだが、どちらかといえばブツの購入や物を作ったり弄ったりするのが好きなタイプかもしれない。

帰路、そんなことを考えながら、アマタはオーディオ弄りのことでいっぱいだった.....

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2007年2月 9日 (金)

Now & Then

Nowthenカーペンターズといえば、自分にとってはアメリカン・オールディーズの大御所である。世代的な違いもあるだろうが、音楽やレコードというものに興味を持ち始めた時代に親が聞いていた洋楽だったのだ。

父親は別にオーディオマニアではなく、適当なステレオセットでレコードを聴いていた。パイオニアの一体型チューナーアンプとレコードプレーヤーのセットだった。スピーカーは中型ブックシェルフサイズの付属品であった。

今思えばS/Nの冴えないロクな音ではなかったはずなのだが、記憶とは美化されるものだ。平日の日中にこっそり親父のカーペンターズのレコードに針を下ろして出てきた音は衝撃的だった。

英語も何もわからなかったので、むにゃむにゃと意味のわからん言葉を綺麗に歌うこのお姉さんは何者ゾ、というような感覚で聴き入ったものだ。スピーカーから音を出して周りに察知されるのが恥ずかしかったので、日々ヘッドフォンでこっそり聴いた。

よくものの例えで「針が擦り切れるくらい....」というが、これは本当だ。擦り切れるくらい聴いた。そのアルバムは、B面が定番"Yesterday once more"で始まり、ラジオのDJ番組風のメドレーで進行していく仕掛けになっていたが、「ホンマ何言うてはるんかいなこの人ら?」という状態だった(^^;

そのレコードが"Now & Then"というアルバムで、その後の自分の音楽ライフに大きな影響を与えるとは、当時は知る由もなかった。

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2007年2月 8日 (木)

雛人形

Hina3月3日まではまだ早いが、拙宅ではすでに雛人形を飾っている。本来は節分が終わった後から飾って雛祭りが終わるとすぐ片付けるのが流儀のようである。

雛人形といっても、最近は買う人は減っただろう。拙宅のものも家内が小さいときにおじいちゃんおばあちゃんに揃えてもらったのを二世代使っている状態である。私の実家は野郎ばかりなので、こういうものとは縁が薄かった。逆に今更ながら新鮮だ。

モノは古めかしい部分もあるが、各々の存在感は十分でパーツも昔ならではの良質な素材を使っているようだ。最近のものはもっと簡素な作りになっているのかもしれない。

残念ながら、今のマンション住まいでは全ての人形や小道具を飾る場所はない(^^;  百貨店などで展示してある数十体のフルセットなど誰が買うのだろうか?

オーディオシステムをどければ多少は入るかもしれないが、論外である。なので、メインの二体を中心として若干の小道具だけを飾っている。日本の伝統文化が廃れるのは寂しい気もするが、生活環境がこれではいたしかたあるまい。

文化論はさておき、陳列している位置がちょうどSPの一次反射スポットなので、拡散という意味では良い方向に働いているようだ。斜めに展開する屏風がミヤビな音響パネルとなる(笑

眼前のバスタオルかけとあいまって、ますます所帯染みたリスニングスペースになりつつあるようだ(--;

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2007年2月 7日 (水)

プロフェッショナリズム

仕事がにわかに忙しくなり、なかなかオーディオを楽しむ時間がない日々が始まったようだ。

毎日仕事をしていると、プロフェッショナリズムとは何なのかと考えることが多い。あまり個人的なことを話すのはやめておくが、どの程度までコミットすれば自他共に満足のいく仕事をしたといえるのか、働くオトナの永遠のテーマだろう。

一つの考え方は、プロとはお金を稼ぐ手段としてある事柄を生業としているのだから、お金を払ってもらえる程度のレベルのものづくりやサービスでいいというものだ。いちいち各々の案件を深追いすることはせずに、要点は抑えた上で割に合う数をこなすことを優先させるわけだ。

これに対してアマチュアイズムは深追いの世界そのものである。オーディオマニアなどその典型だと思うが、販売店の人間を知識や経験の面で軽く上回っているお客は多いはずだ。もっとも、楽にいろんな製品に近づけるという意味ではギョーカイ人の強みもあるわけだが。

昔は、仕事が趣味と一致すればかなり幸せな人生がおくれるのではないかと考えていたが、たぶん本来好きだった趣味も嫌いになりかねないと思うようになった。自分の分野とは全く違うが、例えば一日中DACの開発を仕事にしている技術者はオーディオが好きになれるだろうか?

ガレージメーカーなら間違いなくアマチュアイズムがエスカレートしたものだから、たぶんそうしたメーカーの創業者はさぞ楽しいだろうと思う。ビジネス的にも成功すればなおさらだ。だがそこにいろんな外枠がはまりプレッシャーがかかるとイッキにオーディオも苦痛になるかもしれない。

今週はあまりオーディオに浸る余裕はないが、まったく別の生業を持っているということはかえって幸せなことなのだろう。しばらく聴けない分、次に時間ができたときのメリハリになるからだ。

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2007年2月 6日 (火)

携帯ワールド

Keitaiケータイを使い出して十数年ほどになる。仕事上の要請から、イヤイヤながら持たされている。

個人ユースが広がり始めたのは97か98年頃だったと思うが、それより昔、携帯電話はまだまだ高額で企業ユーザーが中心だった。

ただ、さらに遡ってケータイを使っていたツワモノはとてつもなく大きい電話を携帯させられていたことを考えると自分はまだマシだ。

外観はハンディ無線機さながらで、胴周りは今のケータイの比ではないほど握り応えがあったし、バッテリーはダメダメでスペアも必要だった。それでも長さは20cm内で収まっていた。

最近では街中での「通話歩行」はなんでもない風景となってしまったが、昔はすれ違う人々が「何この人、独り言?」のような奇異なる目で私を見ていた。帰宅途中の夜道なんかだと犯罪者まがいの反応もされた。

ケータイ文化の変遷と共に過ごしてきた自分としては、ケータイなど大嫌いだ。便利なことが多いのは分かるし、通話目的以外にも多くのネット操作ができる端末として重宝する。

でもケータイは嫌いだ。

今更どうしようもないが、ネットとケータイが爆発的に普及しはじめた頃から世の中の回転スピードが殺人的に速くなった。個人も企業も波に乗り遅れまいと必死にもがく時代だ。昔のようにのんびり過ごすことはもうないのだろうか?

来週、また新しいケータイが会社から支給される予定だ(鬱

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2007年2月 5日 (月)

基礎知識の今と昔

書店でふと手にした「ステレオ」誌。ビギナーのためのオーディオベーシック講座なる特集があった。

パラパラと見てみたが、最近のベーシック講座もかなり凝った内容になったものだ。例えば電源の項目ではコンセントプラグのメッキ材質やブレーカーや屋内配線などについて、評論家の主観の範囲ではあるがかなり詳細な記述があった。

全体的なオーディオ技術のレベルは昔から確実にアップしているのだろう。その影響で基礎講座の書き方も随分変わったのだと思う。

License手元になぜか故長岡鉄男氏の著書「オーディオA級ライセンス」がある。めくってみると「アンプは重いほうが良い」「コンクリートブロック」「ドブ板」「鉛インゴット」などの懐かしいオーディオ・フレーズが見え隠れする。

こうした言葉にも当時は大切な要点が盛りこまれていた。重いほうが良いというのは質の高いパーツを沢山投じた証拠だったし、設置でのブロック類の使用はとりもなおさず堅牢な台に置いてみよということであった。

メッセージは昔の基礎講座の方が各段にシンプルだ。最近の講座からはメッセージ性を読み取れない。ステレオ誌について言えば、ビギナーはこんなものを読んだら混乱しかねないと思った。「なぜ」その使いこなしで音がそういうふうに変わるのか、私を含めて誰も説明できないからだ(^^;

今のオーディオファイルは「理論」とそれでは説明がつきにくい「使いこなし」の混沌の中にいる。機器の性能が良くなったことの代償かもしれない。今の機器は昔のように単純な理屈では片付けられないほど微妙な変化を再現する。

カネさえ惜しまなければあらゆる製品の選択肢を得ることが出来るという点ではいい世の中になった。反面、昔のように工夫する楽しみが減ったことも事実だ。オーディオ技術の多くは、素人工作で手におえるレベルをとっくの昔に越えてしまった。長岡派を含めて、最近は自作派も減った。

それでも私がケーブルを自作するのは、単なる「組み合わせごっこ」では終わりたくない抵抗精神からかもしれない。

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2007年2月 4日 (日)

土地柄

Jmapオーディオではしばしばアメリカン・サウンドとかヨーロピアン・サウンドなどと言われる。前者は明るく開放的、後者はちょっと陰影に富んだ落ち着いた音、というイメージだと理解している。

世界の中の「ジャパニーズ・サウンド」は技術志向の律儀で面白みにかける再生音の形容詞かもしれない。80年代、90年代の国産メーカーの悪しき行いが未だにイメージとして定着しているのか。

ふと思ったが、日本国内の土地柄によってもサウンド志向の違いはあるのではないか。自分はそれほど全国のオーディオファイルのお宅にお邪魔したことはないが、各方面から耳に挟んだ話を整理してみると、関西以西の方は豪快な再生のイメージがする。

中国、四国、九州方面だ。個人の環境にはよるが、土地が豊富なのも羨ましい。60Hzだし(笑 あくまでもイメージだが、緻密な音場空間とかよりも洪水のような音が出てきそうだ。

関東のマニアはいろいろいるようだ。耽美派、印象派、写実派、左翼から右翼まで(笑)、自分も関東にいるだけに身近に話を聞くことも多い。オーディオ人口的にも最もバラエティーに富んでいる場所かもしれない。ただ、茨城界隈には別のイメージがある(笑

北日本はどうだろう・・・実は恥ずかしながら東北にはほとんど行ったことがない。出張で数日岩手や青森に滞在したことはあるが、だいたい大阪人は東北には馴染みが薄いものだ。その逆も然り。スキーやスケートの苦手人口比率が多いのも関西人の特徴かもしれない。

東北こそ、機材を持ち込んで驚異的な爆音再生が可能なワンダーランドかもしれない。

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2007年2月 3日 (土)

ハイライズ

Highrise勤め先の港区ベイエリア一角。昨年から超高層マンションが斜め向かいに建て始められた。

出勤するごとに「今日は何階までできたなぁ」「お、ちょっと見ない間に大きくなったなぁ」などと観察するのがうちの社員の日課になっているようだ(笑

いわゆる「億ション」の部類に入るわけだが、こういうマンションはオーディオはガンガンいけるのだろうかなどと考えてしまう。まぁ自分は一生買うことはないであろう物件なのだが(^^;

高いのは土地代が高いからで、建物の性能みたいなものは拙宅のような小規模マンションとどれだけ違うのだろうか。やはり何十メートルもの図体を支える建物はオーディオの爆音くらいでは隣接住戸はピクリともしないのだろうか・・・

ただ、家内の実家がかなりの高層マンションなのだが、上階のドンドンという音がそれなりに伝わることが結構あるようだ。ということは、巨大な物件だからといって安心は禁物なのかもしれない。

目下、拙宅でヒヤヒヤしているのはオーディオ再生音ではなく子供のアバレである。階下のご家庭にはホント申し訳ないと思っているが、今の年齢では何とも自制心というものがないので仕方ない。

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2007年2月 2日 (金)

馴染み

ここのところ、VerdiだP-70だと言わなくなった。前者が随分と馴染んできたからだ。

語弊があるかもしれないが、P-70の世界は良くできた模型、Verdiの世界はより生っぽい世界のように感じる。ただ、オーディオ再生自体が生とは程遠いことを考えると、生っぽいといっても知れていることをご承知いただきたい。

以前にはなかった一線をどこか越えた気がする。それは精神的なものかもしれないが、音楽に入れるか入れないか、という部分かもしれない。オフ会のときにTaoさんや迷い羊さんが仰っていたことの意味がようやく分かってきたようだ。

オーディオはやはり聴いて楽しんでナンボの世界なのかもしれない。

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2007年2月 1日 (木)

ことばのスタイル

いろんな方のブログを拝見していると、ことばのスタイルにいくつかのパターンがあることに気づく。文章から人柄を伺えることは多く、実際には会ったことがない方でもどこか姿が想像できて楽しいものだ。

思ったことを短文でイッパツ的に書きなぐる方がいる。別にそれが悪いというのではない。スタイルだと思う。ただ、他人にはよくわからない内容も多い(^^; こういう方は実際にも奇抜なタイプなのだろうか・・・

一方、報告したい内容があってかつ必要なことだけサクッと書く方もいる。合理的な理系っぽい感じだろうか。この手の方のブログは報告内容自体に興味をそそられるので流れだスタイルだというのとは読み方も違ってくる。

エッセイ風にしっかりと10パラほどでまとめる方は律儀なタイプだろう。毎回ご苦労だと思うが、自分も含めてこの類の人間は文章を書くのは苦ではなく、むしろ好きなはずだ。筆、いや最近はキーボードをパタパタやると調子が出てくるタチなのだ。

流れに任せるのは良いが、思考の流れもパターン化しがちだ。ツカミのつもりで印象的なエピソードを持ってきて、中程で本題につなぐパターンが典型的だが、そのリンクがダジャレのような言葉つながりだったり陳腐な比喩であることが多い。「風が吹けば桶屋が・・・」の論理展開だ。

大新聞のヘタレ編集委員に時々見られるパターンだろう。○声○語を読んでいると、始まりと終わりがでんでバラバラなときがあって笑う。ア○ラの中刷りのキャッチコピーもきっと同じ人種の仕業だろう。

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