自分流・サウンド

2007年3月21日 (水)

鼓動

Heart人間の命を支えるのは心臓の鼓動。デジタル機器のそれを司るのはクロック発振器といえるだろう。時間というものがある限り、人であろうと機械であろうと生きるには何らかのタイミングデバイスが必要なのだ。

その精度も千差万別だ。人間界には不整脈だ何だと人体クロックの精度に問題がある場合があるし、水晶だってピンキリである。

私は別の趣味で無線機を弄ることがあるが、大昔から必ず機器にはオプションで高精度クリスタルが用意されてきた。最近の普及レベルのX'talの精度にすら昔は遠く及ばなかったことも「高級版」が用意されていた理由だが、周波数校正を通して精度はアラワになる。

通電開始時からのドリフトや発振器自身のエージングでも誤差が拡大する。周波数カウンタで測定するにも、そのカウンタ自身の精度も考慮せねばならない。ズレた測定器で校正しても結果はズレているからだ。

ご存知の方も多いと思うが信頼性ある測定器ってメチャメチャ高い。周波数カウンタは数十万する。オシロも高い。もちろん安いものもあるが、先のような理由で精度を考えると二の足だ。業務用測定器は一回の校正だけで何十万もかかるらしい。

精度を突き詰めると、何をリファレンスとして信じてよいのか分からなくなる。誰が一番正しいのか、ルビジウム?セシウム?しかし、素子の教科書的なスペックだけでは実使用時の安定度は確保できないだろう。

ところで、幸か不幸かオーディオ機器では音として聴いたときに精度の良し悪しが必ずしも評価に直結しない。もちろん測定して叩けばホコリも出るだろうが、だからといって音としてどうだとか評価できるのだろうか。ましてやそれで音楽再生の良し悪しなど...

オーディオ再生とクロックの関係がしきりに謳われている。フォーカスや見通しが向上するという話だ。真向からクロックの効果を否定するつもりはないが、多くの場合は高精度クロックを入れているから、というアタマがあるからそういう気になっているのかもしれない。

とはいえ、一度でいいからdCS重箱セットをG-0Sでフルシンクロさせてみたいものだ(爆

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2007年3月19日 (月)

ウォームアップ

Warmup今日は非番。嫁と子供もオトモダチとお台場に出掛け、私は夕方までじっくりヲタな一日を楽しむことができた(^^;

午前からシステムに火入れしていたが、やはりウォームアップの重要性を思い知った一日だった。出足2時間くらいと終盤の夕刻あたりのサウンドは、しなやかさやダンピングなどの点で相当に異なっていた。

拙宅のJRDG Model10などはどちらかといえば出足の早いアンプなのだが、それでも結構違う。細かく分析したことはないが、dCSも恐らくウォームアップで多少の変化があるようだ。

「火入れ」というのは球アンプを通電して火をともすイメージを石アンプにもそのまま流用した表現なのだが、程度の差はあれ事は同じのようだ。

SPユニットも機械的な準備体操が必要かもしれない。SP自身の音が5-6時間の間にどう向上してくるのかはよく考えたことはないが、やはり何かあるのかもしれない。

忙しい現代人にオーディオという趣味は厄介である。やっと帰宅した後に、少しでいいから最高のコンディションで一曲聴いてみたいのは誰しも同じだろう。

こう考えると「常時通電」というのは意味が大きい。もちろん、電気代やCO2排出に貢献するという意味では問題もあるが、ヘヴィなオーヲタにそんな概念をイマサラ持ち出しても仕方ない(^^;

私は単に電気代は安いほうがいいから高効率なシステムを理想としているわけだが.....そのうちパワーもさらに高効率なものを欲するのは間違いない。

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2007年3月14日 (水)

元気の出る音楽Ⅱ

Bartok2前回に続いてまた元気の出る管弦楽曲をご紹介したい。

先日はセルの「ドボハチ」に少し触れたが、他にもこれは凄いと思わざるを得ないCDがまだまだある。以前にも申し上げたかもしれないが、ライナー&シガコのバルトーク「管弦楽のための協奏曲」は屈指の一枚だ。

ビクターのxrcd2リマスター盤だが、1955年と非常に古い録音である。しかし実に瑞々しいサウンドを聴かせる一枚で、間違いなくリマスターとしては大成功だと思う。

演奏は録音どころの騒ぎではない。一貫してスリリングであり、一音一音に重みを感じる。いや、音にマスがあることに加えてスピードが乗る。

入手されるチャンスがあったら、ぜひお聴きすると良い。セルもそうだったが、鳥肌の立つ演奏にはエネルギーがある。ただスコアをなぞったようなアンサンブルも散見される中、気迫の演奏は自らが生命を得た魚のようである。

特にフィナーレは究極のローラーコースターに乗せられたかのごとく駆け抜ける。

こうした演奏を上手く再生するには、エネルギー感を「らしく」演出してくれる装置が似つかわしいだろう。幸い今のシステムはそういう方向に調整しているので、しばらくぶりに聴いたライナーもかなり満足感があった。

オーディオとは本当に贅沢な趣味である。

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2007年2月22日 (木)

紙一重

Wasi_1久々に機器のセッティングを詰めてみた。キ-ワードは「紙一重」。

コンポーネントの設置の際に重要になるのがガタ取りだ。折角の堅牢な床やラックも、機器の足にグラツキがあるようでは台無しだ。

拙宅で活躍しているのが、紙そのものである。以前にも申し上げたが、いろんな和紙を使用している。紙の質で音が違うとまでは思わないが、折角なので雰囲気の良い手漉き和紙を好んでガタ取りに使っている。

4点支持の場合にはドンピシャで全ての足が密着することはないと思ったほうが良い。この場合は3点の方が精神的にスッキリするが、地震に対する安定性の問題や音質的にどうしてもいたずらに解像度を追い込むような格好になってしまう。

私も一時期は好んで3点を試みていたが、最近は構造的にも音質的にもズッシリ安定感のある4点に移行している。SPはまだ3点だが。

4点支持では必ず1つの足にガタが出るので、そこを和紙で微調整する。ショーモナイ小手先のテクに思われるかもしれないが、安定するポイントは紙一重のサジ加減でやってくるので、職人的な能力が求められるだろう。

セラベースのような豪勢なインシュになると、ネジ式で高さが微調整できるようになっているので便利この上ない。お陰でDeliusは常にベストの安定感で棚板に接触できているようだ。

結果としての音質だが、それも紙一重かもしれない(^^; 完全にガタを取った場合とそうでない場合の再生ぶりが白黒逆転するような変化であるはずはない。しかし、オーディオ鑑賞という微妙なテイストを味わう趣味において、紙一重の差は限りなく重い。

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2007年2月13日 (火)

Tact_1オーディオ、特にクラシックを聴いているときに、スピーカーに向かって指揮してしまうことはないだろうか。

私は、いつもとは言わないが、時々やってしまう。裏を返せば音楽を楽しんでいる証拠と言えなくもないが、自分で分析してみると結構面白い。

オーディオは再生音楽であるので、好きな盤は何回も聴いている。よって曲中のスフォルッツアンドなど要所要所のタイミングは感覚で覚えてしまう。だがそれでも息の合わない指揮者がいるのだ。

別にスコアを見てオーディオを聴いているわけではないし、そんなものを見ても正確なタイミングを把握する能力は私にはない。つまるところ、自分が曲に対して抱く感覚とCDから出てくる曲の感覚のズレというべきものだろう。

自分はただの素人音楽ファンなので大御所に物申す立場にはないが、ベルリンフィルを率いるカラヤンものは大抵あわせ易い。逆に言えば氏の音楽は大衆ウケが良く耳なじみのある作りだったのかもしれない。アバドも同じようなラインだろうか。

一方、あわない演奏を言い出すとキリがないが、これは私の曲に対する理解が浅はかであると申し上げておく。

それにしても、同じ曲でも指揮者や奏者で白黒が逆転するくらい変わるものだ。今更ながらクラの難しさを痛感させられる。あまたの演奏の中から自分にとってのベスト盤を見つけるのは容易ではない。

その一枚は必ずしも評論等で推薦されているものとは違ってしかるべきだ。自分はあまりこうした推薦本は読まないようにしている。妙な先入観が入り込むのを避けたいがためである。

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2007年2月 2日 (金)

馴染み

ここのところ、VerdiだP-70だと言わなくなった。前者が随分と馴染んできたからだ。

語弊があるかもしれないが、P-70の世界は良くできた模型、Verdiの世界はより生っぽい世界のように感じる。ただ、オーディオ再生自体が生とは程遠いことを考えると、生っぽいといっても知れていることをご承知いただきたい。

以前にはなかった一線をどこか越えた気がする。それは精神的なものかもしれないが、音楽に入れるか入れないか、という部分かもしれない。オフ会のときにTaoさんや迷い羊さんが仰っていたことの意味がようやく分かってきたようだ。

オーディオはやはり聴いて楽しんでナンボの世界なのかもしれない。

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2007年1月31日 (水)

困った・・・

Towelバスタオル掛けを動かすのが面倒だった。

妙に音がいい・・・

シマッタ・・・(((;-_-) どけておくべきだった・・・

SP外側のミニソネックスパネルとあいまって

空間がスッキリと見通し良い。

家族全員のバスタオルが中高域を吸収しているのか・・・

ルームチューン材の場合とは違って、嫁ハンの文句はゼロ。

家庭内ノイズは極めて低い。

普段はコレでいくか・・・?

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2007年1月30日 (火)

ミニソネックス

Sonnexルームチューン材の隠れた名品に東京防音のミニソネックスがあると思う。基本的には凸凹のスポンジだ。

この手の製品としてはかなり安価な部類に入るだろう。近年ではフロアスタンディング型のパネル上に仕立てた対策品が多く発売されているが、1枚数万もする。それでも輸入品よりはマシかもしれない。

ミニソネックスはピンポイントでかなり効くようだ。拙宅では木枠に2枚をはめ込んでパネル状に工作したものを2枚使うことが多い。ティールの外側から1mほど離して両サイドに立てるように設置すると音場が安定する。

もちろん、部屋の環境は個々のお宅で異なるので一般化は難しいが、センター定位がしっかりと揺らぎないものになるようだ。つまりは条件の異なる左右の壁の反射を抑制しているからと思われる。確かに、立てかけない場合はヴォーカル位置が不安定気味。

ミニソネックスは低域は吸音対象外である。拙宅では別途タワースリム2本をリビングのコーナーに1本ずつ配置している。それでも特定コーナーではブーミーな部分がある。

ルームチューン材は使い出すとキリがないのは分かっているが、一度好結果が得られると外したくなくなるのが人情だろう。意匠的にはカッコワルイ製品がほとんどなので、拙宅でも罵倒されつつ何とかこれらの製品を使っている。

ただ、ふと音響調整材を外したら何の違いもなかった、なんてこともあるので、何事も思い込みは禁物だろう。

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2007年1月24日 (水)

音(^^)楽

セッティングのツボにハマってから、音楽がガゼン楽しくなった。特に管弦楽が活き活きと鳴るようである。ようやくLa Scalaの本領発揮というところだろうか。

音楽が楽しい.....これが本来の再生音楽鑑賞の在り方であるはずなのだが、アクセ弄りだ何だと横道にそれ、そのうち大物アイテムを買い換えるなど本末転倒な事態に陥った方も多いはずだ。

だがそこはオーディオマニアの定めとしてお許しいただきたい。そうでないと、ただの「音楽ファン」になってしまうのだから(^^;

ティールの足まわりにも若干変更を加えた。J1のハイブリッドコーンの3点スパイク支持はやめてアコリバの丸型真鍮インシュ(スパイク受けとして販売される)にハカマをベタ置きしている。両エンドへの伸び、ディテール、空間感がそう後退することなく、アンサンブル全体にエネルギーと厚みが加わって好ましく感じられる。

スパイクを立てて引き締めるのは解像感や空間感を向上させるには有効な手段だが、今の気分では若干の不透明度が加味されても、逆にそれが厚みある実体感として感じられるわけだ。それでもP-70的な世界から大きく後退していないのは、セラベースのお蔭である。

昔の録音になるが、ビクターのリマスター盤でライナー・シカゴ響によるバルトーク「管弦楽の為の協奏曲」やプレヴィン・ロンドン響によるチャイコフスキー三大バレエのハイライトをざっと聴いた。また比較的新しい録音盤ではハイティンク・コンセルトヘボウ管のショスタコーヴィッチ交響曲全集から斜め聴きした。

それぞれのウンチクはさておき、ここにきてようやく作品の余韻が心に残るようなリスニングができるようになった。システムが良くなったからなのか、自分の意識が変わったからなのか.....

Wesboundこの感触は他のジャンルでも似通ったものだった。リー・リトナーのウェス・モンゴメリーへのトリビュートアルバム"Wes Bound"を久々にかけてみたが、上質な録音とあいまって、リトナーが弾くジャズギターは繊細ながらもかなりの熱気を伴って心に残った。こんな気持ちは久しぶりだ。

次回は是非ともこのトランスポートで「椿姫」や「アイーダ」を聴かねばなるまい(笑

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2007年1月23日 (火)

ツボにハマる

Tubo物欲、好奇心、向上心.....マニアをシステム弄りに突き動かす誘惑は多い。ポン置きでじっくり聴き込めばよいものを、ケーブルやセッティングをあれこれと弄るのはマニアのサガだ。

しかし、結果としてそういう「小細工」から多くを学ぶことができるのもマニアの特権だと思う。今日は久々にそのことを実感できた。

正月からVerdi La Scalaをどう自分のサウンドに取り込むかで悩んでいたが、ようやくセッティングのツボを発見した。P-70の時と同様に、決め手はまたもセラベースであった。

Deliusにラックの最上段を奢り、さらにセラベースを履かせるセッティングがもっとも好結果であると結論付けたい。もう数週間こんなことばかりやっているわけだが、この設置方法は自分の中でも確信を得た。

先日投稿した「Verdi+セラベース」は、封印することにした(笑

繰り返し申し上げてきたP-70とVerdiの「二つの世界」がVerdi単体でかなり融合してきた感触だ。つまり、キリリと引き締まった彫の深い音像と、伸びやかに柔らかく広がる音場空間の両立だ。もちろん、当社比ということだが。

どうやらDACには特等席を与えるのが最も良い結果となった。これは裏を返せばDeliusがまだまだ完成の域には遠いDACであるという証明かもしれない。

今後ますますP-70の使用頻度は減っていくのだろうか.....

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